2014年7月15日火曜日

バレエの足のポジション

日記っぽいのを書きます

ダンスについていろいろ調べてたらやっぱし何か基礎でもやりたくなってしまって。
でもダンスの素養とか知識なんて一切ないし何からしていいのか。

わかんないけどとりあえず立ち方とか足運びだったりするのかな…と思って調べたら
バレエの「足のポジション」というのがあったので、
日常の立ち作業とかの隙に何となくずーっとやってみている。

足のポジションは立つときの足の向きや開き方とかで形が決まってて、
①番から⑤番まであるそうです。

ういう



参照したページ


ですがまあ当然もう、全然できない。
一応それっぽいポーズはできるけど「180度足を開く」なんて到底ムリで
というか続けてたら股関節がめちゃくちゃ痛くなってきたぞ…

なんか「股関節の筋肉を使ってる」というの自体はどうやら合ってるっぽいんだけど、
この痛み、普段使わない筋肉を使えているという良い痛みなのか、
間違った変な負荷がかかってる悪い痛みなのか、どっちなのだろう

他にもわからないことはやっぱしたくさんあって、
「④番のときの重心って前足・後ろ足どっちにかけてるの…」とかなんとか、都度検索してます


あ、おれは猫背だしO脚だし普段の姿勢が悪いのですが、
このバレエの足のポジション、爪先や膝をグイーと外に広げる立ち方、
これってO脚を加速させるんじゃないの…?とか気になりそれも調べたのですが、
逆に「O脚を治すにはバレエがいい」ともっぱら書いてあり、???というきもち。
解説もいくつか読んだけど、わかるようなわからないような

あとこの足のポジション、
これ自体は基本系でしかなくて、これらを組み合わせたり応用したりとかするのでしょうが、
たとえば右足前と左足前をサッと入れ替える、とかもうほんと全然できないし、
あとこれ歩くときはどうしたらいいんだろう、爪先を外に向けたまま歩くのかな


まあそんな感じでできなさを楽しんでいます、
できなくともしばらく練習してたら何かちょっとでもわかることないかな〜、
と思って足のポジションの練習は続けてみようと思っています

基本の足のポジションがどんだけむずいかちょっとやってみただけでも、
バレエダンサーの人のポージングとか、
ウオー当たり前ですがやっぱしアレ半端ないのだな…と震えあがる


という感じで、日々でした。最近



それに関連して『ピナ・バウシュ 夢の教室』という映像作品も観ました。 
これはピナ・バウシュさんという女性ダンサー/コリオグラファーの名を冠したドキュメンタリー。




世界的な舞踏家、ピナ・バウシュのもとに、
ダンスも演劇も経験のない40人のティーンエイジャーが集まった
 
「男女の愛」をテーマにしたピナの代表的演目「コンタクトホーフ」を演じるため、
10ヶ月間の無謀とも言える猛特訓が始まる……
志望の動機も様々な少年・少女たち 
「できない」「意味がわからない」と、最初はダンスに二の足を踏んでいた彼らも、
ピナやコーチたちの指導を受けながら稽古に励み、
他者の肌に触れ合い、感情をさらけ出す濃密な時間の中で、
動作にキレが生まれ、表情が輝き出し、また彼ら自身も自らの変化に気づき始めてゆく
 
本作は、2009年に急逝したピナ・バウシュの、
生前最後の映像を収めた貴重なドキュメンタリーである
 
若者たちが「変身」を遂げる瞬間の力強さは、命の希望に満ちている

というあらすじの映画でした

「コンタクトホーフ」という作品については舞踊というか演劇的だな〜と思った
映画の作り自体も振付を身につけたりとかの肉体トレーニングの部分より、
少年少女が感情を解放していくプロセスを重要視していたように思う


だからおれが今観たいものとは少し違ったけど、そんなのはおれの勝手な都合であって
良い成長ドキュメンタリー作品だったとは思います

ただピナ・バウシュさん本人はご多忙らしく、中盤まで一切出てこないし、
出てきてからも正直あんまし何もしなかったのだよな…

その代わり実務やレクチャーをほぼ全て行っていた、ジョーとベネディクトという2人の女性ダンサーの方はすごく良かった
指導もわかりやすかったし愛情もすごく感じられてよい指導者だったのではと思います

2014年7月3日木曜日

舞踏についての感想、雑記

書きかけでボーっとしてる間に一ヶ月も経ってしまって本当によくない…

2つ前の記事に頂いたコメント↓を受けての雑記です
コメント欄に返事すればいいんだけど、上記で教えてもらった情報について調べながら関連した動画などもいろいろ見ていたら返信欄に書き切れなくない量になってしまったので、ワーっと雑感のメモを書き残しておきます


上のコメントでビトさんが教えてくれた動画がこれです



わー、シークエンスに関するビトさんの説明はとてもわかりやすかったのですが、それが実際に高速で実演される様を観てると、初見では脳がまだ処理し切れない感じ…!

ジャズの高速アドリブ・ソロを聴いてるときみたいな、音の奔流に分析が追いつかない、みたいな感じした、でもそれは慣れとか文脈の理解とかで埋めれる部分もあるだろうから、定期的に何度か見返したいな


で、これの「Rosas」というダンス・カンパニーについて全然知らなかったので検索してみた、以下は検索して見つけたこちらの記事から少しずつ引用させて頂いています


ローザスは1982年に振付家・ダンサーであるアンナ・テレサ・ド・ケースマイケルらによって設立されたダンスカンパニーです。 
最初の作品はスティーブ・ライヒの音楽を使った「FASE」という作品で、この作品はその後、何度も再演、再制作されて今でもカンパニーのレパートリー作品の1つとして上演され続けています。 




ローザスの方法論は音楽の構造を分析し、それをそのまま振付の構築に移管してダンスを作るというところにあります。 
「FASE」ではスティーブ・ライヒの音楽が使われていますが、ここで使われた「PIANO PHASE」という曲の構造がまずあって、それがそのまま2人のダンサーの動きとして可視化されているという関係性がこのダンスの骨子だということがあります。 

 この「Face」というのが最高だった、ハーめっちゃいい…

ライヒとか全然ちゃんと聴いたことないのですが、この曲(「Piano Phase」)はたまたまなんかでyoutube動画を観たことがあって、回転・反復・ズレが共存してるのがめっちゃ気持ちいい…と思ったの覚えてる

その魅力が一切損なわれずにダンスに転化されてるのすごい…!


以前観たという動画、確かこれだったと思うんですけどいま改めて観たらマリンバVer.だった






「PIANO PHASE」という曲はフェイジングという技法で作曲されているのですが、それは以下のようなものです。  
はじめは同じフレーズを2人でユニゾン演奏していますが、2人は微妙に異なるテンポで演奏を行うため少しずつに2人の拍、節がずれていき、最初の段階ではエコーのような効果を伴い音型を追いかけるような演奏に聞こえる時間帯が出現します。 
次に音の遅れが一定に達すると再び2人の演奏のパルスが重なる時間帯になりユニゾン演奏が再び出現します。 
しかし、一方の奏者は音型の中で音符が一つ分遅れた位置からフレーズを反復演奏しているため、最初のユニゾンとは異なる縦のハーモニーを形成します。 
「PIANO PHASE」もそういう構造を持っているわけですが、ケースマイケルによる振付はその構造を正確に映していて、 最初はユニゾンで同期(シンクロ)している2人のダンサーは、腕の振りと身体の回転を繰り返すというミニマルな動きのなかでその動きのきざむリズムが2人の演奏のそれぞれに対応しており、 
ものすごく単純化していうと最初同期していた音がピッチの違いにより徐々にずれていくという曲の構造に合わせて、2人のダンサーの動きも回転の速さが腕振り1回につき回転が32分の1ずつ(ではないかもしれないが)ずれるというような構造になっているのではないかと思う。
 [セミネール]「ダンス×アート 源流を探る ローザス=ケースマイケル」セミネールin東心斎橋WEB講座



曲をたまたま知ってたこと、あと動きのパターン数が絞られている、というのもあって、この『Fase』はグイグイ入っていけた、あとRosasは「反復」が基本テーマのうちの一つにある感じの集団なのでしょうか?これとかもすごくおもしろかった



さっきはピアノのフレーズだったけどここでは味気ないスポークンワードとダンスが連動していて、やっぱり反復とズレ、リヴァーブでだんだん世界が歪んでく感じとか最高


······


と、ここまでが前の記事のあとコメントのレスポンスとして一月まえぐらいに書いてた部分でした

で、なんかこの一ヶ月は舞踏に書かれた本を買おうとかしてて、いろんな本があり迷ったんですけど、最終的に2冊、邦正美さんの『舞踏創作と舞踏演出』、もう1冊は海外のダンサーへのインタビュー本『コリオグラファーは語る』というの、をようやく最近買いました(『コリオグラファーは~』はまだ届いてない…)。


本読むよりは、その時間でいろんな舞踏を観てみた方がいいのかな、固定概念がつかないうちに、という思いもあったけれど、

こう、自分はたまに美術館とか行くとき、歴史とか作家の過去作品とかバックグラウンドとか、一切調べずにまっさらな状態で観たい、と思っていつも行くのですが、そんな感じで美術の知識が一切ない自分は、Naverまとめなんですけどこないだ読んだこの西洋美術史まとめが凄くおもしろくて。

大人の常識!?よくわかる西洋美術史入門!




たとえばミレーの「落穂拾い」とか、昔教科書で見たぐらい有名だけど、「ずば抜けてめちゃくちゃ上手いというわけではないっぽいし、モチーフも何でもない日常のワンシーンだし、この絵のどこがそんなに歴史的なほど凄いんだろう…」というのずっとわからなかったんですけど、順序づけて歴史の中に置くことで、その意味とか、価値観の転換みたいなのがわかるというのおもしろいなー!と。

意味や歴史から切り離して1つの作品として観る、というのも大事だけど、舞踏については何かそういう「前提」みたいなの少しだけでも入れとくことで楽しめる部分もありそうだなーと思って本を読んでみることにした感じです。


先に読み始めた『舞踏創作と舞踏演出』は30年近く前に書かれた本のようなので、少し読みにくい部分もあるし、また2014年の現在は状況もここに書かれたものとは大きく違ってたりするのかな、とも思うけれど、

その中で紹介されていた舞踏の関連種類の一つみたいなので「音楽の視覚化」(Visualisation of music)というのがあって。引用すると


「舞踏における音楽の視覚化というのは、音楽を忠実に人間の身体運動で翻訳すること」
「音楽の視覚化はコレオグラフィとは異なり、与えられた楽曲を分解して極めて忠実にコレを身体運動で翻訳した。たとえば管弦楽を視覚化するときは、ヴァイオリンは18歳の少女が代表し、ヴァイオリンの部分が演奏されるときはそのリズム通りに踊り、ヴァイオリンが休止になると彼女もポーズをつくって待つ」
(邦正美著:「創造と舞踏舞踏パフォーマンス」より)


この「Visuarisation of music」でYoutube検索すると、今はもうダンスよりVJ的な映像(光や映像効果で音楽を視覚化してる)が多く並ぶようなのだけど、ダンス系で拾うと、これとか音楽と連動している様子がわかりやすかった(「音符と連動している」といった方がわかりやすいのかも)。





先のRosasも、いくつかYoutube動画を観ただけなので全然知ったようなことはいえないけれど、ここまで観たいくつかの演目に関しては「Visualisation of music」的な思想があるものなのかな?

舞踏の世界では目新しいテーマではないのかもしれないけれど、最近興味を持った自分にとってはすごくおもしろいし、もっといろいろ観てみたいと思った、あと上で貼った「come out」とかみたいに、メロディーのある音楽だけじゃくて、スポークンワードの視覚化とか、もっと様々な音の視覚化もたぶんあるだろうな、そのあたりも気になる、といった話を、ようやくブログに書けてスッキリしました

2014年5月26日月曜日

【好きなもの】Sean Nicholas Savage

ごく最近知って新しく好きになったもの。Sean Nicholas Savave(ショーン・ニコラス・サヴェージ)という、カナダのシンガーソングライターのアルバム。



アルバムタイトルが『Bermuda Waterfall』っていうんです。滝。

常日頃からSoundcloudとかで曲名に「滝」「Waterfall」とか入ってる曲や、ジャケに滝画像を使ってる曲とかを見つけると嬉しくなって手当たり次第に聴いてしまうけど、でもこのアルバムに関しては滝とか全然関係なく(その言い方もどうなのかと思うけど)、1枚通してワーめちゃいい!と思って。すごい優しいアルバムで。





といってもこの人についてはまだあんまり知らなくて。
Twitterで知り合ったぺちこさんって人がいるんですけど。別のブログで海外のアーティストにインタビューしたり翻訳記事とか作るときにいつも英語関係で助けて頂いてる方で。

このアルバムはそのぺちこさんがツイートしてて知って。ぺちこさんはブルー・ハワイというカナダのアーティストが好きで、Sean Nicholas Savageはそのレーベルメイトなのだそう。あと過去にグライムスとかも同じレーベルからリリースしているらしいです(リンク先の写真見て「若っ!」と思った)

Pitchforkでこのアルバム『Bermuda Waterfall』の全曲試聴をやっててすごい良かったんですけど、Pitchforkのアレって期間限定なんですね…。ダラっとしてたらとっくに終わってしまっていた。あれもっと皆に聴いてもらいたいぐらい良かったな


録音がどういう形態で進められたかはわからないのですが、音楽性は基本的にシンガーソングライター然とした感じで、本人の歌と、ピアノやギターを中心としたシンプルなバンド編成といった趣き。全体に強くかかったリバーブの鳴りとかは、やっぱしカナダのそういうインディーシーン周辺っぽい響きもあるんだけど、すごいパーソナルなアルバムのように聴こえる


シンセなどの音も結構多く入ってるのですが(上に貼った「Heartless」はドラムも打ち込みかな)、全体的に音色が柔らかいので、聴感としてはアコースティックに近い印象。



で、その中心に据えられてる本人の歌がすごく良い。細く柔らかいファルセットが不安げで、美しくて。レーベルのyoutubeアカウントで公開されてる「Naturaly」とか何度か聴いてると、あ、かなり芯の強そうなとこもあるんだなーと印象変わったし、過去作も聴けてないので、聴き込むとまだまだいろんなキャラクターがありそうな気はするけど、やっぱりこの儚げなファルセットはこの人の強い魅力だと思う。

Aメロとかの平歌でも、そのファルセットをはじめとしたSean Nicholas本人の様々なヴォイシングを使った多重コーラスが重ねられてて、一人多重コーラス好きにはとても嬉しい、またその声が感情的で不安定に揺れるのもエモくていい

アルバム買いたいなーと思ってるけど、iTunesかレーベル公式でのCDかアナログの通販しか無いっぽくて少し迷ってる、レーベル公式でちゃんと音いいデータを販売してくれたら嬉しいな、あとルックスが声から想像してた感じとは全然違うの意外だった



2014年5月20日火曜日

ダンスの動画観た

ビトさんがツイートしてた記事で紹介されてた動画を観ました、
そして結構オオーっと興奮した、その感想をワーッと書きます





ここを通れば誰もが踊り始める。世界的振付師が作る「振り子」を使ったアート作品


単純におもしろかったのだけど、シンプルな動画だったので観ながらボンヤリと色々考えてしまった。

「参加者みんな、緊張からかわりと上半身は固まってしまってて、下半身の動きのみで振り子をかわしてるのだけど、そのステップだけでもダンスに見え得るのだなー」とか、
「ダンスに見える人とあまりそう見えない人がいるけど違いは何だろ?」とか



ちなみに動画のタイトルは「Nowhere and Everywhere at the Same Time No.2」。

ハハーンこれは「No.1」があるやつだな?と
ググってたらあったんだけど、第一弾の方は動画作品としては残ってないみたい…。ただ、画像は結構いくつも見つかる



すごくきれい、ページの容量の都合なのかたくさんは貼れなかったのでこの3枚の画像を選んだのだけれど、美しい写真がいくつもあってしばらく見ていた


で、この写真を見てると、振り子の仕掛けは同じものなのだけれど、どうも素人の身のこなしでは無い感じ、プロのダンサーだと思う。第一弾のときはまだ「振り子の仕掛けを組み込んだ舞踏をお見せします」という公演だったのかな?踊る意志のない人を踊らせる、みたいなコンセプトは後から生まれたのだろうか。
このシリーズの制作者であるWilliam Forsythe氏のインタビュー動画もあったのだけど、翻訳はさすがに諦めてしまった…


以前にビトさんと話したときに「ダンスの中でソロ的にインプロの時間が設けられている場合がある」という話題が出て、
その話におれがめっちゃ食いついてしまって、しばらく質問攻めにしちゃったのだけど、そのときにした質問のひとつに「インプロで踊っている間、頭の中ではどんなことを考えてるんですか?」というのがあって。


その回答の中で一例として挙げてくれたのが
「空間の中に架空のラインを想定して、そのラインに触れないように、という制約をつけて踊る」
というもの。口語で答えてくれたものをちゃんと文章にできてるか不安だけど

その答えがすごい興味深かった、わざわざ「架空の制約」を設けることで創造する、みたいな考え方。
冒頭の動画を初めに観たとき、すぐその会話を想起したのだけど、いま第一弾の方をググって、写真を見て「あ、やっぱりあの話と同じやつだ!」と思った





人に意図せぬダンスをさせる仕組みは「拘束する」「任意の動作に誘導する」ということだと思う。実際に動画見るまでは、もっと不規則かつ、緻密に計算された複雑な拘束なのでは~、と予想してたんですけど、あんなにシンプルな振り子の連続だけで「踊り」を作れるのだなーと


「任意の動作に誘導する」というのは、楽器でいうとテノリオンとかが音階的なスケールを設定してることに近いと思って。



テノリオンとかの楽器の仕組みは(ザックリですが)上の画像みたいにパッドがいっぱいあり、触れると「ポーン」と鳴る。

最初は「ポーン……、ポーン……、」とシンプルなんだけど、それぞれのパッドは自動演奏しながらどんどん共鳴していき、美しい和音や複雑なリズムにもなる、という感じの。





iPhoneとかの音楽アプリにはこの演奏システムを使ってるものがとても多い、
あとWebで動作するやつだと、かなりシンプルだけどこれ↓とか
http://www.earslap.com/projectslab/otomata

この演奏システムだと鍵盤楽器弾けない人が適当に触っても不協和音にならず、キレイな和音やメロディーを作れるんだけど、それは任意のスケール内の音階しか鳴らないように予め設定されてるからで。

スケールというのは、これも超ザックリした説明なのだけど、「ドレミファソラシド(+半音)」の中で、いい感じになる音の組み合わせ。 たとえばベタな「ペンタトニックスケール」ってやつだと「ド・レ・ミ・ソ・ラ」。 
これだと、キーが「ド」の曲なら、「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の中の音を適当に弾いてれば、アドリブで演奏してもいい感じになるよ~、みたいな。他にも「この音の組み合わせだと悲しい感じになる」とか「この組み合わせだと不思議で怪しい感じになる」とか、いろんなスケールがある。

要は「この中なら、どう鳴らしてもそう変にはならない」って音の組み合わせに予め設定されてて。

どう鳴らしてもそのスケール内に収まるから、音楽的な知識がない人がめちゃ適当に触ってもいい感じの和音になる〜みたいな



そういう、一見ランダム、自由に動かしてる、と錯覚するけれど、実際は決められたグリッドの中のことしかできないように設定されてる、という楽器に近いものをあの「ダンスさせられる」動画から感じた。

ダンスの知識も経験もない(踊ろうという意思もない)人たちの挙動を、シンプルな仕掛けでハックしてダンスさせてしまう、みたいなの。


ただ楽器だと、基本的に演奏しようと思ってる人しか触らないから、ああいう「なんか知らんけど意図に反してダンスさせられてしまう」ものとはちょっと違うよな、とも。

あの動画もアート系の会場での展示だそうなので、そういうのに興味がある人しか参加しないだろうから(あと事前に趣旨の説明みたいなのも多少はされてるのでは、とは思うし)、完全に意図に反してではないのだろうけど

ほんとに公道っていうか、ほんと普通の町中、全く興味ない人が知らずに通る場所にあの振り子システムがあって、「何?何なんこれ?」ってなりながら訳わからないうちに踊ってる人、というのも見たかった気はする、迷惑すぎるからなかなかできないだろうけど



そういう意味でだと、同じように楽器、音楽での体験に置き換えるなら、一つの部屋があって、普通に家具とか置いてるんだけど、それらの物を触ると任意の音が鳴る(コーヒーカップを触ると「ラ」の音がポーンと鳴る、タンスを開けると「ソ」の音がポーンと鳴る、みたいな)部屋で、そこに趣旨を説明されてない数名の人が入って、普通に生活してるだけなのだけど、いくつもの音が鳴って音楽になる、みたいのあったらおもしろそう、と思ったけどもうそういうのやり尽くされてるのかな



自分が(ほんのちょっとだけど)「仕組み」がわかるものは音楽と楽器だけなので、よくわからないものに遭遇したときに、いつもその仕組みを「えっと、これもし音楽だったら…」とか「楽器演奏で言ったら…」みたいに置き換えて考えてしまうのあんまし良くないクセだなーと思う

2014年5月12日月曜日

【好きなもの】無印良品のボールペン

みんな筆跡って何歳ぐらいで安定したのだろう

おれはまだ筆跡が安定してなくて、日ごとにてんでバラバラで自分の筆跡がコントロールできない。「オッ今日のおれはなかなか字がキレイだぞ…」なんて思える日と「うぅ、ゴミみたいな字だ…」ってなる日がある。ダメな日の方が多い。お肌のコンディションみたいに字のコンディションがあって、それが日によってひどくバラつく感じ。多かれ少なかれ多分みんなそうだよね…?とは思ってるけど、他人の字を観察してもそうしたコンディションのバラつきを感じたことはないので、「あれ、もう大人なのに筆跡が安定してないとかおれだけなのかな…ダサいのかな…」とかなんだか不安になってしまって、ずっと誰にも聞けずにいる


字のコンディションは周辺環境だとかそれこそ体調だとかいろんなものに左右されるのだけれど、やっぱり一番大きいファクターは筆記具で。一応いっちょまえにお気に入りの筆記具なんてものもあって、それが無印良品のボールペン




さらさら描けるゲルボールペンノック式 0.5mm・ブルーブラック




さらさら描けるゲルボールペンノック式


ウッ、なんかめっちゃアフィリエイトブログみたいになってしまった、アフィリエイトないです…


商品名どおり書き味がすごく滑らかなのと、あとおれはひどい失くしグセがあってペンとか特にめちゃくちゃ失くすのだけど、このペンならばわりとどこでもすぐ買い直せる、という点が気に入ってる(全国的にそうなのかはわからないけど、おれの生活圏の大阪・京都ではどこのファミリーマートでも必ずこのペンが売っている)



このペンだとそこそこ筆跡が安定する、それでもブレはあるけれど、普段よりは平均点が高くなる、と思っているので、このペンは常時3本は必ず持ち歩くようにしている。というかこのペン以外だとあんましうまく字が書けない…



あとこれも全国的に同じかはわからないけれど、関西のファミリーマートでこのペンを買うと、同じ商品なのだけどなぜだかグリップのゴム部分が上の画像とは違って黒色になってて。その黒グリップのが売ってるのはファミリーマートのみで、行く先々のいろんなお店で結構探したけれど、無印良品の正規店舗で売っているのは見たことがない。無印の公式サイトにも黒グリップver.の存在についての記載は無いし、謎なんだけど、それもほんのちょっと特別感があって好きだ



ここまでつらつらと筆記具について書きながら、そもそもの話、字体の話、さてそういえば自分の好きな字体なんてのはあったっけな、ということをボンヤリ考えていたのだけれど、達筆でも丸文字でも字体そのものはどうでもよくて、その人の書く文字が全体でバランスがとれていれば「良さ」を感じる気がする。文章全体で見たときにバランスが崩れていない、安定感のある字ならばどんな字体でも好きだ。ひどくおもしろみのない答えだとは思うけれど


#昔から手書きの文字はその人の性格を表すと言われています ってアレについては全く了解できない、特に字の綺麗さと知性は全く繋がらないと常々思っている(字はひどく汚いけど頭の回転はめちゃくちゃ速い、って人は多い)けれど、一方で字が綺麗な人を見るとステキだなーと思ってしまうアンビバレンツもある


自分自身の字については、ひどいクセ字だしガキっぽい幼い字、そしてなにより全体のバランスが取れていない字だと思う…


けれど、己から生まれたものではあるし、やっぱりどこか愛着も少しある、そういう「自分の字」に対して抱く感情、愛憎というのは、人が「自分の声」に対して抱く感情と似てるのではないかなーと思う、まぁおれ自分の声は大嫌いなんだけど



でもやっぱしすごいバカみたいな字だな…





今回はすごくどうでもいいことを書けた気がして嬉しい。ブログ、日々のあわですらない、どうでもいいことだけを書いていたい

2014年5月10日土曜日

【今日知ったこと】きな粉は大豆

枝豆も大豆、
もやしも大豆、
納豆も大豆


大豆だけめっちゃ育てていればそこそこ生きていけるのではないのか、絶対に肩肘張らない文章を書く


2014年5月9日金曜日

【好きなもの】京都のお菓子

甘いものは昔から大好きなのですが、基本ケーキとかチョコレートだとかの洋菓子が好きで。

和菓子についてはあまりよく知らないというのもあってそんなだったのですが、最近なんだか機会に恵まれて京都のお菓子をよく食べるようになって。
祇園とかわりと近いのに全然行ったことがなかったのですが、ワーやっぱし和菓子の老舗やおいしい店が多いのだなーと改めて実感して。


そんな感じで、最近食べた中で美味しかった京都のお菓子について書きます。


まずは「すはま」っていう和菓子。
「すはま」という名前の由来についてはwikipediaからダイナミックに引用しますが、
州浜(すはま)とは、大豆、青豆を煎って挽いた州浜粉に砂糖と水飴を加えて練りあわせて作る和菓子の一種。
江戸時代には「豆飴」と呼ばれ、のち京都の和菓子店「植村義次」によって作られた豆飴の断面が州浜紋に似ていたため、「州浜(すはま)」という名前になった。
これが州浜紋。 州のように入り組んだ浜辺の形からきてるそう。
現在では、州浜粉を使った菓子全体を「州浜」「すはま」と呼ぶようになっている。

とのことで、いわゆる「すはま」は由来どおりの、こういう形の和菓子らしいです。



緑と黄色なのは海と砂浜を表してるのかな

ただぼくが最近食べたのは広い語義の「すはま」の方で、味はたぶん同じなのですが、形は普通に丸いお餅。

祇園の『宮田圓月堂』というお店のもので、写真を撮らずに全部食べちゃったのでネットから拾った画像なのですがこういう形でした。


黄色と緑の色遣いは同じですが、形はシンプルな楕円形。

これがとても美味しくて!
めちゃやわらかーい半生の豆餅と、カリカリのざらめの対比…!
そして砂糖の甘さと、その奥でほんのり広がる豆の風味よ


このすはまがすごく美味しかったのが「京都のお菓子、アツいのでは…?」となるキッカケで。


他のお店のすはまもこんなおいしいのかな?お店の個性とかあるのかな?とか気になって、同じく祇園の『下里』というお店のすはまを買ってみたんですが、それがまたおいしくて…!


こちらは豆の自然な色をそのまま活かした感じ。粒の大きさも幾分小ぶりだった。
まぶしたお砂糖もキメの細かいもので甘さも控えめ。で、そのぶんこちらは豆の風味がとても豊か。

自分はジャンクな甘ーいお菓子とかも好きなので、砂糖の甘みの強い『宮田圓月堂』の方が好みかなーと最初は思ってたのですが、この『下里』のすはまは食べ進めるごとに豆自体の素朴な甘さがクセになって、どんどんハマっていく感じがあって…。
毎日小腹が空いたときに少しずつつまむ、といった感じで食べていたのですが、最後の方はもう一粒食べようかな、あ、もう一粒…と手が止まらない感じで。


すはま、豆+砂糖のお餅なので、カロリー結構アレなのだろうし控えねばとは思うのですが、この2つはどちらも絶対また食べたいナァ


で、その祇園『下里』ですはまを購入した際、「よろしければお一つどうぞ」と頂いたのが、生姜と黒砂糖でできた飴。
ぼくは生姜がちょっと苦手なのでオッ…と思ったのですが、エイッと頂いてみるとこれがとてもおいしくて。

結局また京都に寄ったときに、今度はこの飴をお目当てに再訪しました。してやられた感じがすごい…


大砲を模したような形から「大つつ」という名前がつけられた飴なのですが、味はとても上品。黒砂糖の優しい甘みとほんのり生姜の味の二層で、最後まで飽きずにおいしい…



この二つのお店はなんかめちゃ老舗っぽかったんですけど、他に食べたものはわりと新しいお店が多かったのかな


これは四条、木屋町のあたりにある『nikiniki』の生八つ橋。


皮と餡をそれぞれ数種類から選んで、お好みの生八つ橋を作れます、みたいなシステム。
写真のは皮は「抹茶」、餡は「キャラメル」を選びました。

「はァ~洒落てますなァ〜!」みたいな、正直ちょっとナメた気持ちで食べたんですけどこれがすごくおいしくかったのでビックリして。
皮はヒンヤリと冷やしてあって食感も良く、餡の方のキャラメルは生キャラメルの様なとろけるやわらかさ。

もう一人は皮は「ロゼ」、餡は「アップル」をチョイスしてたのですが、それもおいしかったよう。京都に行ったときは毎回寄っていろんな組み合わせを試してみたいきもち


続いては『GOKAN』の京都高島屋店の「宇治有機抹茶のクレープ」。


甘かった、ハチャメチャ甘かった。バニラビーンズっぽいのが入った生クリームと抹茶・小豆はよく合うのですけども、オォ壮絶に甘い…という感想。


最後は京都の錦市場の中にあるお麩の専門店『麩嘉』の麩まんじゅう。


この生麩が「ヤバイ讃岐うどんかよ…」と思うようなすごい弾力!
プルンとみずみずしくやわらかいのですが、噛み切るには顎にグッと力をこめなきゃぐらいの弾力で、この食感は新鮮だった。
生麩ってこれで初めて食べたのですが、どれもこんなすごい弾力なのかな

味は葛まんじゅうによく似ていて、あとお店の方に聞いたところお麩には青海苔を練りこんであるそうで「おまんじゅうに青海苔…?」と内心ちょっと不安になったりしたのですが、わずかに香るぐらいで、全然違和感もなくおいしかった


という感じで(長いな)なんか最近よく京都のお菓子を食べてたのですが、どれも美味しかったナァ

なんか最後にまとめぽいこと書いた方がいいのかなとか思って「京都の和菓子の長い歴史の踏襲、そして脱構築~」みたいな雑なこと書こうかと思ったのですが、
少し考えて、日本で(それも京都で)「和菓子」というフォーマットを選んだ時点で歴史性から逃れることは不可能で、否応なしに踏襲か脱構築かどちらかの道しか無いのでは、と思った、それも雑かもしれないけれど

それは音楽(ロックンロールだとか)の現状とも近い気がしますが、まぁどんな業種でもそれはそうなのかな、こと音楽では、おもしろい人はそうした歴史性と己の位置について常日頃からめちゃ考えてて超話が長いような人か、逆に一切考えてなくて、抜群の身体性でスポーンと全部飛び越えちゃう人か、って感じな気がしますが、和菓子業界はどうなんでしょうね

そういうふうなこと考えるとお店の人に色んな話聞いてみたい(インタビューしてみたい)という気持ちになりますね…和菓子業界の雑誌とかあるのかな、なんか和菓子界における「Rockin'ON」みたいなの、あったら読んでみたいな

サクッとググったら和菓子特集のムック誌はいくつかあるようなのだけど、だいたいは「ここのお菓子がおいしい」みたいなものか、もしくはレシピ寄りの本になるみたい…

そんな中で趣旨とは少しズレるけどちょっとおもしろそうだったのは名古屋の老舗の和菓子屋「両口屋是清」が季刊で自主発行してるフリーペーパー。



だいたい毎号24ページほどで、PDFで過去号もいつでも読めるというのがアツい

これたぶん世の中にはもっとちゃんとディグれば和菓子インタビューとか和菓子Zineとか絶対いっぱいあるのだろうな…なんか和菓子自体よりソッチのほうに興味が湧いてきたぞ…

最後なんか変な話になったけどお菓子おいしいですよね、少食であんま食べられないけれどしばらくはいろいろ食べたいし、食べたらまたキチンと感想を文にして残したい、うん

ハァーみんなブログ一つ書くのどれぐらい時間かけてるんだろ…